捉え方の違い
只今、13:40なり
現在、四ッ谷のベローチェにおります
毎回、行っていたタリーズが土日はお休みになってしまったので、今日はベローチェ
何だか、不景気の皺寄せがきている気がする
まずは風景写真から










写真は1週間くらい前に撮ったもの
今はもう満開になってるけれど、この雨で散ってしまうだろうなと思うと、残念
青空に満開の桜は本当に綺麗なので、毎年、楽しみにしていたのだけれど、今年は早々と終わってしまいそう
話のネタはバラバラだけれど、少し?追記にします
今日は大事な診察日
いつも通り、主治医の笑顔に癒されるw
会話はいつも通りなんだけれど、やはり睡眠の質が中々、改善しないのは気になる
先が見えない不安は感じつつ、今、どうこう出来る問題じゃないので、一旦、棚上げしておこう
今週、いつも通り、バレーボールに行ってきた
昨年、両足の肉離れをした事もあって、アタックは打たずにセッターだけさせてもらってる
(まぁ、若い子はどちらかというと、アタックを打ちたがる子が多いので、逆に助かるけどw)
今回の練習で久々にボールが手に馴染んで、とても感覚が良かった
ボールを送り出す最後の瞬間まで指先でボールの感覚が感じられるのは、久々だったので、心地よくトスを上げられた
私がそんな感じで楽しそうにしているせいなのか、トスが上手く見えたのか、
中学生から「どうすれば、そんな風にトスをあげられるんですか?」と真面目に
相談されたのには、少し驚くと同時に嬉しかったな
その子はとてもアタックのセンスが良いので、アタッカーかと思っていたけれど、
聞けば、セッターもしているとの事で上手く上げられずに悩んでいる模様。
多分、セッターにしか分からないような感覚や体幹のコントロールやバランスについて、
ざっと話すと、真剣な表情で聞いてくれたので、参考になればいいな…と思う
セッターはアタッカーが打ちやすいトスを上げるのが仕事
(いや、仕事という表現は適切じゃないかも。役割かな)
どんなに乱れたボールでも、セッターの技一つで、良い攻撃になる
もちろん、セッターに正確にボールが返ってくれば、より良い攻撃に出来るのは当然
ただ、セッターが乱れたままだと、他の選手がどんなに優れていても、結果は出ない
今まで良い事も悪い事も含めて、散々、そういうことは経験してきているので、プレッシャーの
中でプレーするのはある意味、当たり前な話
プレッシャーを感じると、怖いという気持ちももちろんあるけれど、それを抑え込むだけの
精神力は身につけてきている。
もちろん、今はもう選手としてプレーしていないので、そういう機会はないけれど、
それでも、どんな風に自分の気持ちや視点を切り替えたら良いのかは感覚として
身につけられるようにしてる
自分の我を抑えて、チームのために何をすべきか、自分がどうしたいか、常にそれだけを
考えれば、自ずと自分のプレー、動きにも反映される。年齢とともに動ける範囲は少なく
なってきたけれど、それでも、同じくらいの年齢の人と比べると、平均よりも動けている
気がする(笑
そんな話を主治医とすると、主治医は「よく動けるわね、凄い事よ」と言う
例え、それがお世辞であったとしても、自分でもそう思うので、確信する根拠にさせて
頂いているw
他人からの言葉が与える影響というのは、人の捉え方次第
他人からの言葉をを励まし捉えて、自らを鼓舞するか、自分の考えを確認し、確信から
自信に変える術は身につけておいた方が生きやすい気がする
単に「あぁ、励まされてるのね」とか「慰み」だと捉えていては、結局のところ、
自分の原動力には中々、結びつかないと思うから
先日、部長様がいつものように「あー、もう、どうしたらいいんだ💢」って、一人イラついてた
(この部長様は前の部長様と違って、仕事を抱え込んで、部下に振れない、最終的に困ってから
丸投げするタイプなので、かなり困る)
いつも、仕事を抱え込んでマイナスな事や部下への指導という名のツッコミしかしないので、
周囲はあまり協力的じゃない(という事態になっている事さえ、気づいていないかもしれないけど)
流石に聞いてられないワードを連発するので、助言という名の元でアレコレ言ってみた
「あー、そういう前向きな話、良いね!、ラスカルっはよくそんな前向きな考えできるね」
(いえいえ…それくらい、自分で考えてください…と思いながら言わなかったけど)
で、部長様自ら、身近にいた他の課の課長さんにアレコレ相談していたけど、私が助言した案の
いくつかはこの部長様自ら否定する発言してた…
この八方美人な性格に付き合う気はないので、「あれ?さっき、良いね!って自分で言って
いたのに、今更、ここで全否定するのはおかしいのでは?」と横から釘刺したら、少し
青ざめてたw
苛める気はないのだけれど、世の中にはこういうタイプの人もいるのだと良い
教訓として捉えるようにしてる(いつでも釘を刺せるようにしてるけど)
犠牲というのは、上品すぎる表現だけれど、自分よりも大事にしたいこと、しなければ
ならないことをしっかりと見定めておくことが、大切なんだろうと思う
それと、その中で楽しみや気づきに繋がる何かがあることが、自分の行動を維持出来る
秘訣なのかもしれない
っと、少し真面目な感じで表現したけれど…今日はそんな気分なのでw
通院終わった後にその近くにある桜の名所にふらっと行ってみたけれど、雨のせいも
あって、ところどころ葉桜になってた。主治医が「もう、この近くの桜は老いてるかも」と
言っていた意味が何となくわかった気がする
さて…
今日は後少し、ゆっくりしよう
現在、四ッ谷のベローチェにおります
毎回、行っていたタリーズが土日はお休みになってしまったので、今日はベローチェ
何だか、不景気の皺寄せがきている気がする
まずは風景写真から










写真は1週間くらい前に撮ったもの
今はもう満開になってるけれど、この雨で散ってしまうだろうなと思うと、残念
青空に満開の桜は本当に綺麗なので、毎年、楽しみにしていたのだけれど、今年は早々と終わってしまいそう
話のネタはバラバラだけれど、少し?追記にします
今日は大事な診察日
いつも通り、主治医の笑顔に癒されるw
会話はいつも通りなんだけれど、やはり睡眠の質が中々、改善しないのは気になる
先が見えない不安は感じつつ、今、どうこう出来る問題じゃないので、一旦、棚上げしておこう
今週、いつも通り、バレーボールに行ってきた
昨年、両足の肉離れをした事もあって、アタックは打たずにセッターだけさせてもらってる
(まぁ、若い子はどちらかというと、アタックを打ちたがる子が多いので、逆に助かるけどw)
今回の練習で久々にボールが手に馴染んで、とても感覚が良かった
ボールを送り出す最後の瞬間まで指先でボールの感覚が感じられるのは、久々だったので、心地よくトスを上げられた
私がそんな感じで楽しそうにしているせいなのか、トスが上手く見えたのか、
中学生から「どうすれば、そんな風にトスをあげられるんですか?」と真面目に
相談されたのには、少し驚くと同時に嬉しかったな
その子はとてもアタックのセンスが良いので、アタッカーかと思っていたけれど、
聞けば、セッターもしているとの事で上手く上げられずに悩んでいる模様。
多分、セッターにしか分からないような感覚や体幹のコントロールやバランスについて、
ざっと話すと、真剣な表情で聞いてくれたので、参考になればいいな…と思う
セッターはアタッカーが打ちやすいトスを上げるのが仕事
(いや、仕事という表現は適切じゃないかも。役割かな)
どんなに乱れたボールでも、セッターの技一つで、良い攻撃になる
もちろん、セッターに正確にボールが返ってくれば、より良い攻撃に出来るのは当然
ただ、セッターが乱れたままだと、他の選手がどんなに優れていても、結果は出ない
今まで良い事も悪い事も含めて、散々、そういうことは経験してきているので、プレッシャーの
中でプレーするのはある意味、当たり前な話
プレッシャーを感じると、怖いという気持ちももちろんあるけれど、それを抑え込むだけの
精神力は身につけてきている。
もちろん、今はもう選手としてプレーしていないので、そういう機会はないけれど、
それでも、どんな風に自分の気持ちや視点を切り替えたら良いのかは感覚として
身につけられるようにしてる
自分の我を抑えて、チームのために何をすべきか、自分がどうしたいか、常にそれだけを
考えれば、自ずと自分のプレー、動きにも反映される。年齢とともに動ける範囲は少なく
なってきたけれど、それでも、同じくらいの年齢の人と比べると、平均よりも動けている
気がする(笑
そんな話を主治医とすると、主治医は「よく動けるわね、凄い事よ」と言う
例え、それがお世辞であったとしても、自分でもそう思うので、確信する根拠にさせて
頂いているw
他人からの言葉が与える影響というのは、人の捉え方次第
他人からの言葉をを励まし捉えて、自らを鼓舞するか、自分の考えを確認し、確信から
自信に変える術は身につけておいた方が生きやすい気がする
単に「あぁ、励まされてるのね」とか「慰み」だと捉えていては、結局のところ、
自分の原動力には中々、結びつかないと思うから
先日、部長様がいつものように「あー、もう、どうしたらいいんだ💢」って、一人イラついてた
(この部長様は前の部長様と違って、仕事を抱え込んで、部下に振れない、最終的に困ってから
丸投げするタイプなので、かなり困る)
いつも、仕事を抱え込んでマイナスな事や部下への指導という名のツッコミしかしないので、
周囲はあまり協力的じゃない(という事態になっている事さえ、気づいていないかもしれないけど)
流石に聞いてられないワードを連発するので、助言という名の元でアレコレ言ってみた
「あー、そういう前向きな話、良いね!、ラスカルっはよくそんな前向きな考えできるね」
(いえいえ…それくらい、自分で考えてください…と思いながら言わなかったけど)
で、部長様自ら、身近にいた他の課の課長さんにアレコレ相談していたけど、私が助言した案の
いくつかはこの部長様自ら否定する発言してた…
この八方美人な性格に付き合う気はないので、「あれ?さっき、良いね!って自分で言って
いたのに、今更、ここで全否定するのはおかしいのでは?」と横から釘刺したら、少し
青ざめてたw
苛める気はないのだけれど、世の中にはこういうタイプの人もいるのだと良い
教訓として捉えるようにしてる(いつでも釘を刺せるようにしてるけど)
犠牲というのは、上品すぎる表現だけれど、自分よりも大事にしたいこと、しなければ
ならないことをしっかりと見定めておくことが、大切なんだろうと思う
それと、その中で楽しみや気づきに繋がる何かがあることが、自分の行動を維持出来る
秘訣なのかもしれない
っと、少し真面目な感じで表現したけれど…今日はそんな気分なのでw
通院終わった後にその近くにある桜の名所にふらっと行ってみたけれど、雨のせいも
あって、ところどころ葉桜になってた。主治医が「もう、この近くの桜は老いてるかも」と
言っていた意味が何となくわかった気がする
さて…
今日は後少し、ゆっくりしよう
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