自分の価値を決めるのは誰?
只今、13:30なり
現在、四ッ谷のタリーズにおります。
久々に来るけど、変わらないのが何とも嬉しい
最近、写真を撮りに行けてないから、とりあえず、この記事でも無し
今日は大事な診察日
急な雨に降られ、ちょっとガッカリ
まぁ、天気予報は見ていたのだけれど、想像以上に降られて、ちょっとタジタジ(苦笑
表題の件は追記にします
現在、四ッ谷のタリーズにおります。
久々に来るけど、変わらないのが何とも嬉しい
最近、写真を撮りに行けてないから、とりあえず、この記事でも無し
今日は大事な診察日
急な雨に降られ、ちょっとガッカリ
まぁ、天気予報は見ていたのだけれど、想像以上に降られて、ちょっとタジタジ(苦笑
表題の件は追記にします
この主治医に診てもらってから、何年経過しただろう
そうか、あれから14年経つのか
長いと言えば長いのかもしれない
今を見ている私的には長いという感覚はあまり無いのだけれど。
それでも、今は気分の落ち込みや暗闇の感覚はなくて、睡眠だけ安定しない状態
「うつ病はね、長いわよ」
罹り始めた頃、診てもらっていたセラピストに言われた言葉が思い出される
もちろん、個人差はあるので、思い込みをしないようにねとも言われてたな
あの頃は「長い」という感覚がわからなかった
一日一日を生きるのが精一杯で、月日の長さなんて、考える余地が無かったからなぁ
今は一日があっという間に過ぎ去ってしまう日々
充実しているか?と聞かれると、ストレスの方が多くて、充実しているとは思えないのだけど、あの頃と比較すれば、十分に充実しているのだろう
慣れとは怖いもので、慌ただしくしていると、それが段々と普通になっていってしまう
限界は越えるものだという考えもあるけれど、そこまで頑張って生きなくても良いとは思う
自分が納得しているならば。
私はどちらかというと、自己犠牲や我慢することの方が多いので、つい頑張り過ぎてしまっている気がする
どんなに頑張っても、自分が納得いかなければ、突き詰めて頑張ってしまう
それが良い方向に働く時もあれば、悪い方向に働く場合もある
周囲から「頑張ってるね!」とか声をかけられることは限りなく少ない
でも、決して、そういう声を期待しているわけでは無い
そのために色々なことをしているわけじゃないから
いつか何かの役に立つことを自ずとしているだけ
もちろん、自分の出来る範囲内でそれが最善だと信じているやり方で。
「他人は必ず見ているから」
これは幼い頃から両親によく言われた言葉
「他人に迷惑をかけず、良い行いをする大人になりなさい」
そういう思いから両親はこんな言葉を使ったんだと思う
良い行いも悪い行いも他人に気づかれてないと思っていても、他人はその言動を見ているから
自分の価値を上げるのも下げるのも自分次第
「価値」という言葉が適切でないかもしれないけど。
ただ、少なくとも私にとって、自分に素直な私でありたい
それと、世界に一人しかいない自分に、もう少しだけ優しい私でありたい
さて…少し話題を変える
GW前から通い始めた整体で、足の状態がかなり改善してきた
驚いたことに、1ヶ月経たないのに、怪我する前と、ほとんど変わらない状態になりつつある
まだ、若干、心細い気もするけれど、それでも私はとても驚いてる
先日、いつも通りバレーボールに行った時に少しずつ負荷を上げた動きをするようにしているのだけれど、
思った通りに動けるようになってきていることに自分自身が驚いている
ボールを触る感触や体の使い方もキレが良くなってきている
もちろん、若い全盛期とは比べものにはならないのだけれど、そこは年齢的なものもあるから
一般開放している体育館なので、来る子達も毎回違うけれど、流石に4年間くらい通っているから
顔馴染みは多い(というか、私は古参組に入っているかな…w)
「あんな動きをする50代って見たことが無い」
と、若い子たちは口を揃えて言うのだけれど、イマイチ、ピンと来てない私(苦笑
みんなの考える50代って落ち着いている感じのイメージが強いのかもしれないな
でも、私的にも、未知の世界だからねーっ
それでも、まだまだやれる感じがしているのが不思議
瞬間的な爆発力やスタミナは落ちていると思うけれど、瞬間的な感覚は少しずつ戻ってきている気がする
あとは動体視力と体のバランスが戻って来れば、ある程度までは出来そうな気がする
練習後の電車の中で「あの瞬間の感触は良かった」とか「あの時はこう動いてれば、もっと良かった」と一人イメージすることも増えた
スポーツは何でもそうだと思うけれど、身体も使うけれど、頭もたくさん使う
だから、気持ちが良いのかもしれないな
それと、「またね!」と言い合える間柄があるのは、嬉しいことだと思う
さて…
少しゆっくりしたら、帰ろう
明日は横田基地の感謝祭やってるから、都合が合えば、また行ってみたいな
そうか、あれから14年経つのか
長いと言えば長いのかもしれない
今を見ている私的には長いという感覚はあまり無いのだけれど。
それでも、今は気分の落ち込みや暗闇の感覚はなくて、睡眠だけ安定しない状態
「うつ病はね、長いわよ」
罹り始めた頃、診てもらっていたセラピストに言われた言葉が思い出される
もちろん、個人差はあるので、思い込みをしないようにねとも言われてたな
あの頃は「長い」という感覚がわからなかった
一日一日を生きるのが精一杯で、月日の長さなんて、考える余地が無かったからなぁ
今は一日があっという間に過ぎ去ってしまう日々
充実しているか?と聞かれると、ストレスの方が多くて、充実しているとは思えないのだけど、あの頃と比較すれば、十分に充実しているのだろう
慣れとは怖いもので、慌ただしくしていると、それが段々と普通になっていってしまう
限界は越えるものだという考えもあるけれど、そこまで頑張って生きなくても良いとは思う
自分が納得しているならば。
私はどちらかというと、自己犠牲や我慢することの方が多いので、つい頑張り過ぎてしまっている気がする
どんなに頑張っても、自分が納得いかなければ、突き詰めて頑張ってしまう
それが良い方向に働く時もあれば、悪い方向に働く場合もある
周囲から「頑張ってるね!」とか声をかけられることは限りなく少ない
でも、決して、そういう声を期待しているわけでは無い
そのために色々なことをしているわけじゃないから
いつか何かの役に立つことを自ずとしているだけ
もちろん、自分の出来る範囲内でそれが最善だと信じているやり方で。
「他人は必ず見ているから」
これは幼い頃から両親によく言われた言葉
「他人に迷惑をかけず、良い行いをする大人になりなさい」
そういう思いから両親はこんな言葉を使ったんだと思う
良い行いも悪い行いも他人に気づかれてないと思っていても、他人はその言動を見ているから
自分の価値を上げるのも下げるのも自分次第
「価値」という言葉が適切でないかもしれないけど。
ただ、少なくとも私にとって、自分に素直な私でありたい
それと、世界に一人しかいない自分に、もう少しだけ優しい私でありたい
さて…少し話題を変える
GW前から通い始めた整体で、足の状態がかなり改善してきた
驚いたことに、1ヶ月経たないのに、怪我する前と、ほとんど変わらない状態になりつつある
まだ、若干、心細い気もするけれど、それでも私はとても驚いてる
先日、いつも通りバレーボールに行った時に少しずつ負荷を上げた動きをするようにしているのだけれど、
思った通りに動けるようになってきていることに自分自身が驚いている
ボールを触る感触や体の使い方もキレが良くなってきている
もちろん、若い全盛期とは比べものにはならないのだけれど、そこは年齢的なものもあるから
一般開放している体育館なので、来る子達も毎回違うけれど、流石に4年間くらい通っているから
顔馴染みは多い(というか、私は古参組に入っているかな…w)
「あんな動きをする50代って見たことが無い」
と、若い子たちは口を揃えて言うのだけれど、イマイチ、ピンと来てない私(苦笑
みんなの考える50代って落ち着いている感じのイメージが強いのかもしれないな
でも、私的にも、未知の世界だからねーっ
それでも、まだまだやれる感じがしているのが不思議
瞬間的な爆発力やスタミナは落ちていると思うけれど、瞬間的な感覚は少しずつ戻ってきている気がする
あとは動体視力と体のバランスが戻って来れば、ある程度までは出来そうな気がする
練習後の電車の中で「あの瞬間の感触は良かった」とか「あの時はこう動いてれば、もっと良かった」と一人イメージすることも増えた
スポーツは何でもそうだと思うけれど、身体も使うけれど、頭もたくさん使う
だから、気持ちが良いのかもしれないな
それと、「またね!」と言い合える間柄があるのは、嬉しいことだと思う
さて…
少しゆっくりしたら、帰ろう
明日は横田基地の感謝祭やってるから、都合が合えば、また行ってみたいな
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