ウツ病は甘えられる病じゃない
只今、18:30也...
現在、会社最寄のベローチェ
昨日の夜からあまり眠れなかった
2時に目が覚め、3時半に目が覚め、5時に目が覚め...
何だかちょっと調子が狂ってた一日でした
まずは今日の風景から
Sunrise
The Bridge
鳥さんの群れ
Sunrise
オレンジ
やはり朝晴れていると心地よい
ちょっと調子が狂った睡眠もちょっとだけ緩和された感じ
今日は大事なカウンセリングの日でした
一ヶ月ぶりのカウンセリング
でも、何だか何を話せばいいのかわからなくなってる私が居た
何だか小難しく考えすぎているようです
そんなウツな私は追記にします
現在、会社最寄のベローチェ
昨日の夜からあまり眠れなかった
2時に目が覚め、3時半に目が覚め、5時に目が覚め...
何だかちょっと調子が狂ってた一日でした
まずは今日の風景から
Sunrise
The Bridge
鳥さんの群れ
Sunrise
オレンジ
やはり朝晴れていると心地よい
ちょっと調子が狂った睡眠もちょっとだけ緩和された感じ
今日は大事なカウンセリングの日でした
一ヶ月ぶりのカウンセリング
でも、何だか何を話せばいいのかわからなくなってる私が居た
何だか小難しく考えすぎているようです
そんなウツな私は追記にします
「調子はどうですか?」
久々のカウンセリング
つい先日まで体調が悪かったこと
でも、「この風景も今しか観れないんだよなぁ」と思うとちょっとだけ元気になったこと
そんなことを話した
セラピスト:「ラスカルっ、その考えはウツ的かもしれないわね」
ラスカルっ:「きゃーーーっ(心の叫び)」
「でも、どこら辺がウツ的なんでしょうか?」
セラピスト:「『今、観ている風景は二度と観られない』という考えの延長線上には「死」があるでしょう?」
ラスカルっ:「先生、鋭いですね、その通りです(苦笑」
確かに「死」を意識していたのは事実
でも、それがウツ的だとは思わなかったなぁ
セラピスト曰く、今の私は疲れているのだろうと
セラピスト:「明日か、来週の火曜日にでも休みなさい!」
ラスカルっ:「きゃーーーーっ(心の叫び)」
でも、そう簡単には休めないよなぁ
と思ってしまっている自分に気づく...
うん...
多分、疲れているんだな、私は
セラピスト:「ラスカルっは多分、さみしさをどこかで感じているのだと思うわよ」
ラスカルっ:「さみしさ?」
セラピスト:「生きる上でのむなしさとでも言おうかしら...」
そう言われてもイメージが湧かない私...
セラピスト:「まずは一日休んで、ぼーっとすること」
何も考えずにぼーっとすることで自分と向き合いなさいというメッセージだと思う
人間らしく生きなさいとセラピストは言う
ここで言う「人間らしく」というのは、自分に優しく生きなさいという意味らしい...
私にはまだその意味がわからない
そして自分に優しいという意味は自分を甘やかすという意味ではない
ウツ病である人のことを「ウツ病に甘えている」と言う人が居る
でも、私は思う
ウツ病は甘えるものじゃないし、甘えたくもない
この苦しい病に甘えたいと思う人は居るのか!?
ウツ病は甘えられるほど、生優しい病じゃないと思う
この病は苦しい
正直言って、「苦しい」という言葉さえも優しすぎるくらい
ウツ病を「甘え」だと言う人が居るならば、ウツ病は甘えられる病ですか?っと聞いてみたい
経験したことの無い事をわかったようなフリをして、上から目線で言わないで欲しい
現に私の周囲にはそういう輩が居る
彼らには何を言っても通用はしない
だから私も何も言わない
でも、ウツ病の私に向かって「ラスカルっは甘えてる」という人は居ない
もしそう思う人が居るならば、言って欲しいとさえ思うのだけれど...
でも、同じようにウツ病で倒れて復職してきた後輩のことを「甘えですよ!」と私に言われてもねぇ(苦笑
そういう人にはウツ病というものをゆっくりと諭すように言い聞かせるのだけれど...
最後には「理解出来ない」と言う
理解出来ないものを自分の判断基準だけで「出来ない奴」だと決め付けないで欲しい
人には相応に出来ることは必ずあるのだから
セラピスト:「ラスカルっはあんなに綺麗な写真を撮ったり出来るのだから、良い感性を持っているのよ」
最近の私は何となくピンと来ない
イマイチよくわからない
ラスカルっ:「私ってまだ自分の感性に気づいていないってことですよね?」
セラピスト:「そうよ。自分と向き合って自分の感性とは何かを考えなさい」
でもね、先生
まだ自分の感性って何なのかよくわからない
でも、これは誰かから教えてもらうことではないのだろうと思う
自分が見つけないと理解出来ないものなのだと思う
そしてそれを見つけるのは階段を登る手段なのだと思う
セラピストは言う
確かに今の私の周囲は魑魅魍魎が多い
自分の保身ためならば、周りの人間を貶める輩が多い
そして自分の身に起こった事を「同情してくれよ」とばかりに愚痴ばかり言う人が多い
愚痴は確かに時には必要だと思う
でも、毎日のようにそんな愚痴を聞かされてもねぇ
以前、同じような言葉をセラピストから頂いていたことを今、思い出す
「死ぬ時に振り返って「あぁ、良い人生だった」と思える人生を送りなさい」
ウツ病になる前の私は多分、そんな考えは無かったと思う
その時期にどんな風に考えていたか、詳しいことは忘れているのだけれど...
でも、思う
忙しく働いてお金をたくさん稼いで「あぁ忙しい人生だった」と思う人生とどんなに貧しくても自分の感情が揺り動かされるような感動をたくさん感じた人生とでは後者の方が私には合っていると。
感情の無い人生はつまらない
自分が泣きたいときに泣き
自分が楽しいと感じるときに笑い
自分が綺麗だと思うときに素直に「綺麗だ」と言えるような生き方がしたい
もちろん、この世知辛い世の中、作り笑いをしないといけない場面は何故か多い
自分の感情を押し殺して対応しないといけない状況もある
そんなのはわかっているさ
でも、自分の心にだけはウソをつきたくないだけさ
自分の心を殺すことだけはしてはいけない
そう思う
久々のカウンセリング
つい先日まで体調が悪かったこと
でも、「この風景も今しか観れないんだよなぁ」と思うとちょっとだけ元気になったこと
そんなことを話した
セラピスト:「ラスカルっ、その考えはウツ的かもしれないわね」
ラスカルっ:「きゃーーーっ(心の叫び)」
「でも、どこら辺がウツ的なんでしょうか?」
セラピスト:「『今、観ている風景は二度と観られない』という考えの延長線上には「死」があるでしょう?」
ラスカルっ:「先生、鋭いですね、その通りです(苦笑」
確かに「死」を意識していたのは事実
でも、それがウツ的だとは思わなかったなぁ
セラピスト曰く、今の私は疲れているのだろうと
セラピスト:「明日か、来週の火曜日にでも休みなさい!」
ラスカルっ:「きゃーーーーっ(心の叫び)」
でも、そう簡単には休めないよなぁ
と思ってしまっている自分に気づく...
うん...
多分、疲れているんだな、私は
セラピスト:「ラスカルっは多分、さみしさをどこかで感じているのだと思うわよ」
ラスカルっ:「さみしさ?」
セラピスト:「生きる上でのむなしさとでも言おうかしら...」
そう言われてもイメージが湧かない私...
セラピスト:「まずは一日休んで、ぼーっとすること」
何も考えずにぼーっとすることで自分と向き合いなさいというメッセージだと思う
人間らしく生きなさいとセラピストは言う
ここで言う「人間らしく」というのは、自分に優しく生きなさいという意味らしい...
私にはまだその意味がわからない
そして自分に優しいという意味は自分を甘やかすという意味ではない
ウツ病である人のことを「ウツ病に甘えている」と言う人が居る
でも、私は思う
ウツ病は甘えるものじゃないし、甘えたくもない
この苦しい病に甘えたいと思う人は居るのか!?
ウツ病は甘えられるほど、生優しい病じゃないと思う
この病は苦しい
正直言って、「苦しい」という言葉さえも優しすぎるくらい
ウツ病を「甘え」だと言う人が居るならば、ウツ病は甘えられる病ですか?っと聞いてみたい
経験したことの無い事をわかったようなフリをして、上から目線で言わないで欲しい
現に私の周囲にはそういう輩が居る
彼らには何を言っても通用はしない
だから私も何も言わない
でも、ウツ病の私に向かって「ラスカルっは甘えてる」という人は居ない
もしそう思う人が居るならば、言って欲しいとさえ思うのだけれど...
でも、同じようにウツ病で倒れて復職してきた後輩のことを「甘えですよ!」と私に言われてもねぇ(苦笑
そういう人にはウツ病というものをゆっくりと諭すように言い聞かせるのだけれど...
最後には「理解出来ない」と言う
理解出来ないものを自分の判断基準だけで「出来ない奴」だと決め付けないで欲しい
人には相応に出来ることは必ずあるのだから
セラピスト:「ラスカルっはあんなに綺麗な写真を撮ったり出来るのだから、良い感性を持っているのよ」
最近の私は何となくピンと来ない
イマイチよくわからない
ラスカルっ:「私ってまだ自分の感性に気づいていないってことですよね?」
セラピスト:「そうよ。自分と向き合って自分の感性とは何かを考えなさい」
でもね、先生
まだ自分の感性って何なのかよくわからない
でも、これは誰かから教えてもらうことではないのだろうと思う
自分が見つけないと理解出来ないものなのだと思う
そしてそれを見つけるのは階段を登る手段なのだと思う
セラピストは言う
出世は考えるな
上に立つ者は人格が周囲に認められているから上に立つんだ
良い仕事をして、良い人生を送ることを考えなさい
確かに今の私の周囲は魑魅魍魎が多い
自分の保身ためならば、周りの人間を貶める輩が多い
そして自分の身に起こった事を「同情してくれよ」とばかりに愚痴ばかり言う人が多い
愚痴は確かに時には必要だと思う
でも、毎日のようにそんな愚痴を聞かされてもねぇ
以前、同じような言葉をセラピストから頂いていたことを今、思い出す
「死ぬ時に振り返って「あぁ、良い人生だった」と思える人生を送りなさい」
ウツ病になる前の私は多分、そんな考えは無かったと思う
その時期にどんな風に考えていたか、詳しいことは忘れているのだけれど...
でも、思う
忙しく働いてお金をたくさん稼いで「あぁ忙しい人生だった」と思う人生とどんなに貧しくても自分の感情が揺り動かされるような感動をたくさん感じた人生とでは後者の方が私には合っていると。
感情の無い人生はつまらない
自分が泣きたいときに泣き
自分が楽しいと感じるときに笑い
自分が綺麗だと思うときに素直に「綺麗だ」と言えるような生き方がしたい
もちろん、この世知辛い世の中、作り笑いをしないといけない場面は何故か多い
自分の感情を押し殺して対応しないといけない状況もある
そんなのはわかっているさ
でも、自分の心にだけはウソをつきたくないだけさ
自分の心を殺すことだけはしてはいけない
そう思う
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